アビヤーサとヴァイラーギャ(修習と離欲)

オーナーのヤスコです。

今年もだんだんと残り少なくなってきましたね。

コロナに始まりコロナに終わる、そんな一年だったと感じている方も多いのではないでしょうか。スタジオが休業を余儀なくされ窮地に立たされた時、皆様に助けていただき、本当にありがとうございました。

 

ヨガの教えに「アビヤーサ(やり続ける・修復)」と「ヴァイラーギャ(手放す・離欲)」があります。

 

私は、ヨガインストラクターになる前は市役所に勤めていました。公務員でした。公務員というのは、法に基づき平等に公平に奉仕の気持ちを持って職に勤めるのが責務です。若い頃は何の疑問ももたず、仕事に励んでいました。そして、月日が経つにつれ、何となく自分の中に違和感を感じはじめました。これでいいのか?これが私のやりたいことなのか?何度も自分に問いかけました。

 

さらに、私は生死について考えることが好きな人です。母がホスピスで働いていたからかもしれません。しかし、そういったことを語り合える人は周りにいませんでした。

この先どうすごしたい?どう生きたい?どう死にたい?

 

私には2人の娘がいます。

長女は小さい頃から絵を描くのが好きで、美大に行きました。

私も美術は好きですが、イマイチよくわからないなあと感じていました。有名な作品も、人がいいと言っているからよく見えるのか?本当に良い作品なのか?今だによく分かりません。

 

美大の学園祭へ足を運んだ時、とても衝撃を受けました。みんな苦悩しながらも真剣に、思い思い、やりたいことをやっているのです。そこに<評価される>という感覚は感じ取れませんでした。<やりたいことをやったら評価された>という感じでしょうか。

今まで、人の目を気にして、人から褒められたい、人のために何かをしなければ、と思っていた私は頭を殴られたようでした。急に、<そうか!何をやってもいいんだ!>と気づかされ、まさに清水の舞台から飛び降りるごとく決心し、公務員という安定を手放し今の仕事につきました。

 

そうすると、不思議とご縁が次々とやってきて、今ますます学びを深める事ができています。

<ああ、これが私のやりたい事だった>と、自分の選んだ道や生き方に心の底から納得し、いい人生だなと思えた時、時々<もういつ死んでもいい>と思えるようにさえなりました。

そして、そう思えた時、とても幸せで穏やかになれたりするのです。

 

アビヤーサとヴァイラーギャの教えは、

<覚悟して今を生き抜くことで、自ずと離れていく>

という教えなのかも知れません。